「インターネットの安心安全な利用に役立つ手記コンクール」
受賞作品

②トラブル克服部門

silver優秀 「SNS の甘い誘い」  東京都 絶歌


スマホのタスクバーにSNSアプリからのお知らせマークを見つけるや否や、タップしてアプリを起動させる。友達からのコメントか、新しいフォロワーがついた知らせか…。お知らせの内容を見る瞬間が、いつしか一日の中で最もわくわくする時になっていた。

私がそのSNSにはまったのは今から2年前、高校3年のときだった。やっと手にしたスマホに真っ先に入れたのが、ずっと使ってみたかった、世界で人気のそのSNSアプリだ。初めて開いたそのアプリの中には、世界中で撮られたおしゃれで最新の写真が美しく並んでおり、それはあっという間に私の心を奪った。それからというもの、私の生活はいつもそのSNSと共にあり、それは少しずつ、でも確実に、私の生活の中心に入り込んでくるようになっていった。どのようにそれは起こったのか、どのようにして私は今その問題と向き合っているのか、私の体験をお話ししたい。

どうやったら私もおしゃれな写真を上げられるだろう。より多くの反響を得られるだろう。より多くのフォロワーを獲得することができるのだろうか…。SNSアプリをインストールしてからというもの、私の関心はだんだんそのSNSに関することばかりになっていった。自分の投稿に「いいね!」を押してもらいたいがために、友達の投稿には必ず「いいね!」をする。「いいね!」を押してもらいやすい時間帯を狙って投稿する。人気であったり、流行りのハッシュタグをつけて、世界中の人から自分の写真を検索されやすいようにする。ばかばかしく思われるかもしれないような努力をして、私はSNS上で少しずつ大きな反響を得られるようになっていった。SNSを見ている時間はだんだん長くなっていき、授業の合間などに見ることはもちろん、気がついたら2,3時間見続けていたということも珍しくなくなっていった。

友達と遊びに行くような楽しみの時間も、SNSのネタとなる写真を撮るための時間へと変化していった。以前は思い出作りのために撮っていた写真も、SNSにアップするという目的を持ったものになり、いかにおしゃれで、インパクトのある写真を撮ったかということが重要になっていった。私の周囲の友達にとってもそれは同じであり、写真映えするようなスイーツを食べに行ったり、「自撮り」のために10分以上時間を費やすこともたびたびあった。

また、最初は楽しいと思っていたSNSへの投稿も長く続けるにつれ、だんだんしがらみの多いものへと変わっていった。短期間に多くの投稿をすると友達に「自慢している」「うざい」などと思われるのではないかと懸念されるため、投稿の回数を自重しなければならない。逆に何週間も投稿しないと私生活が充実していないのではないかと思われてしまう恐れがあるため、定期的に投稿することも必要である。私はこういったことに無意識のうちに縛られるようになっていった。

自分は生活をより豊かにするためにSNSをやっているのか、それともSNS上の自分の姿を輝かせるために生活を捧げているのだろうか。このような自問を繰り返すことがだんだん増えていき、私はSNSに生活を奪われつつある、という結論に達したとき、私はこのSNSをやめる決意をした。SNSを始めてから1年半という月日が経っていた。

SNSに費やした時間を考えると、そしてその時間に読書などをすることによって得られたであろう知識等を考えると、私は何と浅はかで、何と人生を深みのあるものにするのに役に立たない努力を重ねてきたのだろうということが思いやられる。しかし私は自分が哀れだとも、愚かな選択をしたとも考えていない。むしろこれからますます生活とインターネットが密接に結びついていく社会において、真に重要な体験をすることができたと思っている。SNSの中毒性、「見られる」ことを今までになく意識させられる環境に翻弄されることの無意味さ。

それらを知った今、私は「自分自身の人生を生きる」ということの難しさと大切さをかみしめている。

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