日中韓インターネット協会提携関係に関する覚書

2002年11月27日 上海

 中国インターネット協会(ISC)財団法人インターネット協会(IAjapan)、および韓国インターネット協会(IAK)は、下記の目的を達成するために共同して働くこととする。

1. 我々三か国を代表するインターネット組織は、中国、日本、韓国(CJK)地域におけるインターネットおよびそれに関連する諸活動を推進するために、提携する。この提携関係は、2002年9月のマラケシュにおけるCJKの情報通信大臣の情報通信に関する協力関係の覚書を背景にしている。

2. CJK三か国のインターネットに関する政府に努力に協力する。

3. ブロードバンドのインターネット基盤とサービスの発展を促進する。

4. アジア太平洋地域におけるインターネットの普及・応用を推進し、かつこの地域のインターネット相互接続が十分であるように促進する。

5. アジア・パシフィック・ブロードバンド・サミット(ABS)を継続して開催する。ABSは、この地域を巡回することとする。

6. この提携関係は、CJK地域のインターネット関連の活動が中心的役割を担うために、アジア太平洋地域の他のインターネット組織と協力すべきものである。

 この覚書を確認するため、CJKのインターネット組織の各代表者が、ここに署名する。

Internet Society of China : 黄澄清
Internet Association Japan : 高橋徹
Internet Association of Korea : 全吉男


解説:
中日韓三か国(CJK)のインターネット組織の提携関係を結ぶ経過について

財団法人インターネット協会 副理事長 高橋 徹

 2002年1月に、韓国のKilnam Chon(全吉男)氏から私に電子メールが入り、アジアのブロードバンド・インターネットが世界をリードしていくために、CJKで会議を開催してはどうか、という提案が来た。Kilnam Chon氏は、韓国先端科学技術院(KAIST)の教授で、韓国におけるインターネットの第一人者である。私たちは永いことアジア太平洋地域のインターネットの発展に関わってきた歴史を共有している。大阪の生まれ育ち、大阪大学工学部の通信工学科からUCLAに学び、データ通信分野でPhDを取得した後に、韓国に帰って活躍している。91年の最初のINETコペンハーゲンで彼を知った。私が1993年にNetworld+Interop 94 Tokyo開催の責任者になってJapan/Asiaのプログラム委員会を組織したときに、委員になってもらった。そのKilnam Chon教授からの提案は無視することはできない。

 2月末に開かれた第7回APRICOT(Asia Pacific Region Internet Conference on Operational Technologies)Bangkokの会議でKilnamと相談した。そこで私は、CJKのインターネット協会のアライアンスでこれを開催するのはどうかと提案した。私がIAjapanの副理事長で、Kilnamが韓国インターネット協会会長になっている。中国でも同じような組織ができたと、中国科学院CNNICの銭芳林教授から聞いた。氏が副理事長の一人であると言う。理事長は誰かと聞くと、前中国科学院副総裁の胡女史であった。彼女なら、Kilnamも私もよく知っている。それでは3ヶ国の連携を考えよう、ということになった。

 6月に米国ワシントンDC近くのアーリントンでISOC主催のINET2002があり、私はJonathan Postel Service Awardの選考委員でもあり、ISOC-JPの代表にもなっているので、財団法人インターネット協会からINET2002へ出席した。そこで偶然、胡女史に会った。はじめて女史に会ったのは、1997年5月のChinaInet97の北京であった。女史もそのときの村井純さんの講演が印象的だったことをよく覚えていた。アーリントンのホテル近くで昼食を一緒にしたときに、じつは、Kilnamからの提案がある、三か国でいっしょにやりませんかと言ったら、即座に、それはいい、OK。ということだった。

 その結果、紆余曲折はあったが、7月のIETF横浜会議のときに詳細を検討し、10月17日にAsia Pacific Broadband Summit 2002 Tokyo(ABS)を開催することになった。財団法人インターネット協会の幹部会や理事会でこの企画を承認して、推進することになった。日本と韓国でプログラムを決め、中国を招待することになった。9月に小倉で開催されたAPNICのオープンポリシー・ミーティングで銭芳林教授を捕まえて連絡を密にするよう頼んだが、中国側との連絡は難航し、Visaの発行がぎりぎりとなったが、北京の日本大使館の協力で、ISCから二人の代表がABSに参加することができた。開催前日のレセプションには間に合わなかったが、当日の会議にはすべて出席し、懇親会では、韓国、中国からの挨拶をお願いした。

 次は、10月末に上海で開かれるICANNミーティングのときに、第2回のABSを中国で開催すること、および日中韓のインターネット協会のアライアンスに関して検討することになった。10月25日から、私はICANNミーティングに参加し、その前にドラフトを作成してメールで送った。これを整理して意見を調整し、11月末に上海である中国インターネット大会(China Internet Conference)のときに覚書を締結しようと言うことになった。Kilnamと私は、この会議の招待講演者となって両国のブロードバンド・ネットワークの状況に関してスピーチすることになった。

 この件に関して、7月から開催されていた総務省の月尾嘉男審議官のもとのアジア・ブロードバンド計画研究会(座長:後藤滋樹さん)で、3度にわたって経過を報告した。9月のマラケシュにおけるCJKのICT担当大臣会合での3カ国間の合意が成立する傍ら、民間サイドで独自にアライアンスを結ぶこととなった。署名者は、Kilnamと私、それに中国側はISCの書記局次長の黄澄清さんとなった。ISCができて1年で、CJKのアライアンスを結ぶところまで来たことを、中国側は大歓迎したのである。中国インターネット大会最終日の27日5時、閉会時のイベントとして、覚書の署名、締結が発表された。

 以上の経過を経て、この覚書は成立したのである。

 次回のABS は、2003年6月17日前後に、第2回中国インターネット大会に合わせて北京で開催されることになった。そのプログラム委員会に、日韓から参加することになり、その打ち合わせが1月21日のAPAN福岡会議に先立って行われる。Kilnamと私、それに中国側から清華大学教授の呉建平が担当となっている。2月のAPRICOT2003は台北で開催されるが、その際にもこの覚書が紹介されることになる。


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