「インターネットの安心安全な利用に役立つ手記コンクール」
受賞作品

①使いこなし部門

gold最優秀 「母とSNSとタブレット」  神奈川県 family.k


7月、父が脳梗塞で倒れました。 4月に喜寿の祝いをしたばかりでした。5月には一泊二日のドライブをしてきたばかりでした。何十年かぶりに、孫を連れずに兄と母との4人だけで、故郷の和歌山に祖父の墓参りを兼ねて。 今から思えば、予兆はありました。

父の仕事の都合で和歌山から東京に転勤となるその夜。叔父が予約してくれた魚が美味しかった和歌浦の宿。44年前にも宿泊したその宿をあえて選び、懐かしく昔を振り返りながら、同じ宿に家族そろって宿泊できる幸せを感じ、両親に喜んでもらおうという趣向でした。

でも、その宿はほんとうに44年前の面影を色濃く残してくれており、エレベータがなかったのです。父は、地下の風呂から3階の部屋への階段を上がるために、一度数分の休憩を挟まなければ登り切れませんでした。 6年前に心筋梗塞で倒れた父は、至近距離に循環器系の専門病院があった地理上の幸運で、奇跡的に短期で普通の生活に戻ることができました。3本ある心臓動脈のうちの2本がダメになったところからの1か月にも満たない退院は、家族全員に根拠のない安心感を生んでしまっていたのかもしれません。医師からは「血管が詰まりやすい、心配だ」と言われていたのにです。

脳梗塞は心筋梗塞よりも厄介でした。睡眠中に発症した父は、起きた時には右脳のほとんどの部分に血流がない状態が続いてしまっており、救急搬送されてからも心臓への負担から思い切った治療を施すこともできず。血流を滑らかにする投薬も心臓への負担との両にらみという状態でした。 兄も、私も、兄嫁も妻も仕事をもっています。それぞれ3名ずつの孫には学校があり、平日のお見舞いは専ら母の役目となりました。

リハビリは遅れ、目に見えた回復はいまだにありません。意識はあるのですが、麻痺した舌やのどで時々話す言葉は聞き取りにくく、問いかけなおすと口をつぐでしまう典型的な昭和男性の父に、母の落胆は日を追うごとに深まっている様子でした。心筋梗塞の時の回復度合いや、同一症状で入院してくる他の患者さんと単純比較してしまうのです。50年以上連れ添った二人です。無理のないことなのでしょう。

ふと、数年前に母にプレゼントしたタブレットを思い出しました。機械が苦手な母は、私が設置したPCに殆ど触れることがありませんでした。PCは父のプロ野球観戦や囲碁ゲーム用と化していましたが、小さくて小型でタッチ式のタブレットであれば、少しは使ってくれるかもしれない、という淡い期待を込めて贈ったものです。

プレゼントしたwifi仕様のタブレットは、モバイルルータがなければ外出先でインターネットにつなぐことができません。すぐに中古のルータを購入し、格安SIMを契約して即席の安価な通信環境を作りました。昭和の女性である母は、使いこなすことができるかどうかもわからないのに、月に数千円もする高価な通信契約が必要であることを知ってしまうと、受け取ってくれない、使ってくれないことは明白でしたので。

SNSに登録し、私、兄、兄嫁、妻、孫4名および母を含めた8名のグループを作り、グループチャットの練習、画像撮影とその投稿の練習、といった特訓を母に課しました。当初から「使いこなせない、覚えられない、変な言葉を打ってしまう、私にはもったいない、ああだこうだ」と抵抗する母を、「俺たちが親父の様子を知りたいんだ、我慢してやってくれ。」と説き伏せて、見舞いには必ず持参させるようにしました。

最初はこちらからの「どう?どんな様子?」といった問いかけにも返答がないことが多かったのですが、見舞いに行った時の誰かの現地指導を励行すると、少しずつ変化が出てきました。

応答間隔がだんだん短くなり、文字だけでなくスタンプ等の装飾が施されることも稀ではなくなってきました。

画像も多くなり、投与している薬品名、父の表情、回診での担当医師のコメントなどを実況中継で知らせてくれるグループチャットは、隣の県で仕事をしている私にとっての貴重な情報源となりました。1か月もすると、暇でかわいそうな父の為に、音楽を聞かせたい、と自分から要望するようになりました。父母所有の演歌のCDを何枚かタブレットにダウンロードすると、なんとか覚えたミュージックプレイヤーアプリを操作して、病床の父にイヤホンで音楽を聞かせる母がいました。

また、父の表情が明らかに変化するのは孫の声を聴いたときでした。ボイスメッセージや通話チャットなどで孫の声を聴かせると、父の反応は見違えるほどに活発になるのです。治療にどれほどの効果があるのかは未知数ですが、母にとっての励みにもなっているのだと思います。

その他にも活用シーンはたくさんありました。
・リハビリ病院への転院手続を備忘して、家族全員で共有する
・病院関係者との面会の日時を調整する
・個人タクシードライバーの兄と母との病院送迎の時間調整
そして何より、回復が思うに任せずイライラを募らせる父に対応している母の不安と不満が鬱積した気持ちのはけ口になってくれています。

「こんなこと言われた」「何も返事なし」「不機嫌極まりなし」といった母のチャットを、グループの誰かが察知すると、「どうしたんだろうね?」「一日中ベッドに縛り付けられてるんだからしょうがないかも、気にしないでいいよ」といった反応が返ります。母は「このタブレットがなかったら、私どうなっていたかわからない」とまで言うようになっていました。

父の病状はいまだに楽観できず、重い介護が待ち受けているかもしれません。しかし、母が独りでそれを背負い込んでいるわけではなく、皆が関わっているのだという安心感を母が持てているのは、インターネットというネットワーク、SNSという手軽なサービス、そしてタブレットという極めてハイレベルな技術を満載したハードウエア、の3点を低価格で利用できるという現代の社会なればこそだと思います。

インターネットやそれらのサービス・技術が悲しい事件の引き金になってしまうケースも多々あるわけですが、今の我が家にとっては必要不可欠なものであり、今という時代に生まれたことにとても感謝しています。




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