「インターネットの安心安全な利用に役立つ手記コンクール」
受賞作品

④青少年のインターネット利用部門

silver優秀 学ぶ知識、人の心情  埼玉県 弥生

私は、中学校を卒業するまでスマートフォンを触ることが一切なかった。理由は簡単だ。親が携帯に依存してしまうと警戒し、持たせようとはしなかったのだ。しかし私は当時携帯を持ちたいとは思っておらず、それまではスマートフォンを目を輝かせていじる同級生を見ていても、憧れに似た感情がわくことはなかったものだ。高校生になる際、そろそろ連絡の手段がないと困るという名目でスマートフォンを手にすることとなった。少しだけ高揚している気持ちを抑え、いざ操作してみると、LINEを開き友達とコミュニケーションをしたり、気になっていたゲームのアプリをダウンロードして遊んでみたり、スマートフォンを扱うという楽しさを知った。次第にその魅力に引き込まれ、毎日暇さえあれば手に取り触るようになっていった。

ある日、1つの問題が起きた。それは、マインクラフトというゲームで顔を合わせたこともない人たちと一緒に遊んでいた時のことだった。とある人が初めてそのマルチプレイに参加したのだが、やりたいことができなくて腹を立てたのか、自由勝手にものを壊し、挙句の果てには私と親しかった友達に暴言を吐いてしまったのだ。

たかがゲーム、されどゲーム。人の心は棘のある言葉で壊れてしまう。昔、いじめられていた自分を見ているようでとても辛かった。暴言を吐かれた友達はもうやりたくないとふさぎ込んでしまい、マルチプレイに参加しなくなってしまった。 状況を重く見た私は、その問題の仲裁に入ることにした。暴言を吐いた人物と話し、何が原因で暴言を吐いてしまったのか、他に解決法はなかったのかと会話を重ねた。一方ふさぎこんでしまった友達とも話し、たくさんの相談にものった。その結果、問題は解決し双方が謝るという形で収束することとなった。こちらにも不手際があったとはいえ、暴言を人に向けて言っていいというわけではない。インターネット上、顔が見えない状態とはいえ、人の心を傷つけていいわけではないのだ。この問題は私にとって衝撃的なものだった。

いじめはやった者も悪いが見ていて止めなかった者も悪いというが、インターネット上のコミュニケーションでも同じことが言えるであろう。Twitterなどにおいても一つの小さな意見でさえも数の圧力で握りつぶす者もいる。それは絶対に許されるものではないのだ。互いが何も知らない人であろうと分け隔てなく対等にコミュニケーションをとることが大切だと私は思う。

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