「インターネットの安心安全な利用に役立つ手記コンクール」
受賞作品

②トラブル克服部門

silver優秀 些細な事に隠されている  東京都 MKミッキー

最近、よく機械を使用している気がする。特にスマホである。学校から帰ると、勉強の前に「スマホ」が当たり前の生活だ。

ある日、私がいつものようにスマホでゲームをしていた。そのゲームは、ラインで他人とゲーム上で関わることが出来るアプリで、何の問題もなく楽しんでいた。
その時はそれでよかった。しかし、少し時間をおいて二度目にスマホを開いてみると、ホーム画面のラインのアプリの部分に、着信のマークがあった。何だろうと不思議に思ってタップしてみると、さっき私が遊んでいたゲームのアプリに関するラインだった。凄くビックリした。「なんで着信がたくさんくるのだろう?」という疑問が頭の中をめぐった。まさに私の頭の中は、「?」だった。そして、親に相談した。すると、「自分はごく普通にゲームで遊んでいても、知らないうちに色々な事が起きてしまっている場合があるから、気をつけなさい。これ以上広がるようであれば、このアプリを削除しますよ。」と、結構厳しい言葉だった。私自身、これ以上広がってしまうのは怖かったため、アプリを削除することにした。

それから数日後、スマホのホーム画面を見ると、前まであったあのアプリが消えている。急に寂しくなった。楽しく遊んでいた時のことを思い出した。そして、「もう一度、やりたい」と思うようになった。そこで、私は親に話そうとした。しかし、親にダメって言われるかな、と少し迷った。これからは気をつけるからといえば、許してくれるかもしれない。私の頭の中には二つの思いがよぎった。しばらく悩んでいたが、親に頼むことにした。許してくれないことを覚悟して…。

私は、今このゲームをしている。もう一度インストールしたのだ。つまり、親は許してくれたということだ。また遊べる喜びが一気にあふれ出した。しかし、前のように楽しく遊んでいることに変わりはないが、一つだけ変わったことがある。それは、「一つ一つの事にしっかり注意をする」ということだ。前は、「なんとなく」で、説明などにあまり目を向けなかった。しかし、今は一つ一つの説明やルールをしっかり読み、自分が遊べる条件であるかを注意するようにしている。
こうすることによって、「知れわたり事件」はなくなった。私が今回、この「知れわたり事件」で改めた事は、「てきとうにやるのではなく、一つ一つの些細な事にしっかりと目を向ける」ということだ。これは、スマホだけではない。日常生活に必要な事だ。

このことから、私は「スマホの正しい利用法」というのは、意外と日常生活のちょっとした事に隠されているのではないか、と思う。

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